幻となった青葉山のヒメギフ

以前、このブログに書いたことがありましたが、
日本のヒメギフチョウのタイプ産地は、仙台青葉山とされています。
つまり、Luehdorfia puziloi inexpecta(ヒメギフチョウ本州亜種)が最初に日本で採集され、シーボルトに記載された標本は仙台市青葉山のものだったということですね。

青葉山杜の都仙台を代表する、100万都市の中心部に原生的自然が残存する貴重な緑地帯ですが、その周囲は戦後の高度成長や人口の増加に伴い次々に宅地化され、元来あった緑地帯はどんどん縮小していき、現在はごく中心部のみが辛うじて残されたと言っていい状況ではないでしょうか。
そんななかで、青葉山ヒメギフチョウは、年々その生息地を奪われ、つい10年ほど前までは、数か所の発生地がなんとかその命脈を保っていました。
しかし、この数年とうとうその最後の牙城とも思っていた生息地からも姿を消してしまったようです。

私が仙台に転勤で赴任してきたのが20年前。
その頃、青葉山とその周辺を歩き回り、何か所かヒメギフチョウの発生地を確認していましたが、そのうちの一か所は、なんと自宅のすぐ目の前の広瀬川をはさんだ対岸の谷筋にありました。
自宅の周りにはコナラ、エノキの大木もあり、いつでも数分の場所にヒメギフを観察でき、居ながらにしてオオムラサキやウラキンシジミ、アカシジミ、ウラクシジミなどのゼフィルスも眺めることができる、蝶好きにとっては実にいい場所に居を構えることができたと、その幸運を喜んだものでした。

仙台に住み始めて10年ほど経ったころ、青葉山に散在していたヒメギフチョウはさらに減少していき、少なくとも私が知っている発生地は自宅前の場所だけになってしまったようです。
採集者が入ればたちまち消滅してしまうほどの小規模な発生地が狭い場所に隣接して2か所点在していました。
わたしは春が来るたびに、その年のヒメギフの姿を見て安心しながらも、もしかするとここが青葉山最後のヒメギフ生息地になるのかもしれないという危惧を感じていました。

そこは、青葉山広瀬川に傾斜して落ち込む北面で、毎年激しい地すべりを繰り返している崩落地帯の近くにあります。仙台市ではこの崩落対策のため、排水溝をつくる工事を進めていましたが、その排水溝を通すための工事用の道路と排水一時貯蔵用のタンクが、よりによってウスバサイシンが生育している中心部に作られてしまいました。
多くのウスバサイシンが工事用道路の下敷きになったのを見て唖然としましたが、案の定、次の年にはその場所でヒメギフの姿を確認することができませんでした。
しかし、まだ最後に残った一か所ではヒメギフの卵塊を確認できました。
なんとかこの場所で生き延びてほしいと願っていたのですが・・

しかし、5年ほど前に大雨による激流で、対岸に渡る工事用の簡易橋が流されてしまい、それ以来、ヒメギフの発生地に行くには、ずっと下流の橋を渡り、そこから青葉山のトレッキングコースを使い、山中に入って道を外れ藪漕ぎをしなければならなくなってしまいました。
次の年の春、そんな遠回りをしても、ヒメギフの安否を確認するために最後に残った場所を訪ねてみたものの、ヒメギフの姿も卵も発見することができませんでした。
それでも、たまたま運が悪く姿を見ることができなかっただけで、完全に消えたという確証があるわけではなかったのですが、再度確かめたいと思いながら、何年かシーズン中に多忙だったりで3年ほど現地確認ができずにいたのです。

今日、何年かぶりにこのポイントに出かけてみました。
天気は最高で、ヒメギフが飛ぶのに絶好の日和。
カタクリはちょうど満開で、ウスバサイシンもあちこちに新芽を伸ばし始めていました。
しかし、結局ヒメギフは現れてくれませんでした。
一帯のウスバサイシンを片っ端からひっくり返し、卵塊がないかと探してみましたが、徒労に終わりました。
やはり、この場所のヒメギフも姿を消したと思うしかありません。

太白山の自然観察の森では、ウスバサイシンを植えて、ヒメギフの保護を図っているようですが、これは地域個体群保護という意義はあるにしても、もはや自然の姿ではありませんので、本来の青葉山の自然構成要素の一つがまた失われてしまったと言わざるを得ないのではないでしょうか。
残念というしかありません。


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崩落対策の排水溝が見える。
この明るく開けた沢沿いにヒメギフが舞っていました。


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崩落対策工事にも関わらず、激しい斜面の崩落が進んでいた


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地面全体が3・11の大地震と崩落の影響で緩くなっていて、木が根こそぎ倒れている

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カタクリ、ウスバサイシンと住まいの条件は整っているのに、
肝心のヒメギフの姿だけが見えない。

発生地が孤立してしまうと、どれほど食草があって吸蜜植物があっても、そこで継続して発生し続けることはないようです。ここで育った蝶は出て行ってしまい、他からの個体の流入がない場合は、途絶えてしまう。
この最後に残った発生地も、ほかの場所の発生地が消滅してしまったために消えてしまったと考えるしかありません。


かつては、こんな姿が青葉山にも見られたのですが
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2014.04.13 陸前白沢