仙台の「赤上がり」ヒメギフ !

  仙台に「赤上がり」のヒメギフがいるという話をAさんから聞いたのは、昨年でした。

 「赤上がり」のヒメギフとは、後翅肛角赤紋に連なる亜外縁に、赤い紋列が生じる、非常に美しい個体変異のことを、蝶好きの仲間が付けた愛称です。
 この後翅赤紋が発達する個体は、どこの地域のヒメギフチョウの発生地でも生じるごく一般的な変異の一つなのですが、一つの地域個体群全体の中では決して多いものではありません。

 ところが、この赤上がりの個体の発生数がほかの地域より圧倒的に多い場所が何か所か知られています。 
 とくに有名なのは、群馬県赤城山と長野県・下高井郡および東筑摩郡ヒメギフチョウです。
 これらの発生地では、通常の発生地とは逆に、ほとんどの個体が赤上がり個体で、赤紋の発達がない通常個体の方がごくわずかだということです。

 Aさんの話によると、仙台近郊の赤上がりヒメギフのポイントは、赤紋発達個体の割合が非常に多いそうです。
 Aさんが昨年に撮影した画像を拝見すると、なるほど素晴らしく赤紋が発達した綺麗なヒメギフのようでした。
 これは、ぜひとも撮影しなくてはと、蝶の羽化するのを今か今かと待ちわびていました。
 
 ここのポイントは、奥羽山脈・船形山系から平野部を隔てて東方に張り出した最東端の孤立した山塊で、ヒメギフチョウの発生地としても他の発生地とは孤絶した個体群ではないかと思います。
 そうした地理的な要因もあって、この場所で特に赤上がりのヒメギフの系統が濃縮されたのかもしれません。

 寒い日が数日続いた後、やっとよく晴れた絶好の日が訪れました。
 朝9時ごろにポイントに到着すると、もう蝶友のFさんがカメラを肩にあたりを見張っておりました。
 気温の上昇とともに、まずは♂が現れました。

ヒメギフチョウ♂ 2017/04/10  宮城県利府町
一日の始まりは、日光浴から。
噂通り、赤い肛角紋が大きく、並行して通常は弱い上室の赤紋がはっきりと目立つ個体です。
この場所でも、発生間もないと思われ、新鮮そのもの。

日光を十分浴びて、おもむろに飛んだ。

ヒメギフチョウ♂ 2017/04/10  宮城県利府町
カタクリもちょうど今が咲き始めたばかりで、鮮やかなピンク色が春の到来を祝福しているようだ。

ヒメギフチョウ♂ 2017/04/10  宮城県利府町
貪るように吸蜜する♂。

                   ヒメギフチョウ♂ 2017/04/10  宮城県利府町
                  おなかが減っていたと見え、一つや二つの花では全然足りないらしい。

 ヒメギフチョウ♂ 2017/04/10  宮城県利府町
次から次へと花の間を移っていく。

              ヒメギフチョウ♀ 2017/04/10  宮城県利府町
           そして、待っていた♀登場。
      さすが、♂以上に赤い紋が大きく、鮮やかで美しい個体です。

ヒメギフチョウ♀ 2017/04/10  宮城県利府町
ズームで寄ってみました。
見事な赤紋にため息が出そうです。

ヒメギフチョウ♀ 2017/04/10  宮城県利府町
この♀は、この日に羽化してきたものと見え、やはり未交尾だった。
カスレや傷一つない新鮮な鱗粉の色合いは、中国大陸のアカオビギフチョウと見まがうほどの美しさ



イメージ 1
ヒメギフチョウ♂♀ 2017/04/10  宮城県利府町
この日は、見ている前で二組の交尾が成立した。
羽化して飛び始めた♀を待ち構えて♂が体当たりすると、♀は下に落下するように急降下する。


イメージ 2
ヒメギフチョウ♂♀ 2017/04/10  宮城県利府町
♂はそのままメスにもつれるようにして交尾体制に入る。
ほんの一瞬の出来事だ。

ヒメギフチョウ♂♀ 2017/04/10  宮城県利府町
見ての通りのやらせ画像です。笑
このカップルを木の枝先に移動しました。



有名産地の「赤上がり」ヒメギフ(参考)

 東京の蝶友、Kさんのご厚意で、ほかの有名産地の赤上がりヒメギフの画像をお借りすることができたので、仙台の赤上がりと比較してみたいと思います。

イメージ 3
長野県・朝日村産 ヒメギフチョウ赤紋発達型♂ (東京・Kさん撮影)
朝日村の某寺境内のポイントは、蝶の写真同好者の間では、赤上がりが多いので有名。
ブログ主は、藤岡図鑑で長野県下高井郡の個体群は赤紋発達型が多いということを知りましたが、この朝日村のことはKさんから初めて伺いました。


イメージ 4
群馬県赤城山産 ヒメギフチョウ赤紋発達型♂ (東京・Kさん撮影)
赤城山中部地方・東北地方の個体群とは飛び離れた孤立した産地のためか、日本では最も変わったヒメギフチョウとして有名。
一時、絶滅したと思われていたが、細々と生存していたことが判り、いまでは地元に保護の会ができ、大切に保護されているそうです。